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新谷 暁生Akio Shinya

- 使用モデル: 3-Finger Full Leather
- HESTRAグローブ使用歴: 30シーズン(2025年現在)
- なぜHESTRAを?
- 90年代初頭にSOS(スウェーデンのスキーウェアブランド)の輸入販売を始めた我妻明さんが、あるときサンプルウェアを数着送ってきた。冬のニセコで着用して、その感想を聞かせてほしいとのことだった。そのとき、ウェアと一緒に送られてきたのが、HESTRAのグローブだった。それを機に使わせてもらうようになったと記憶している。その後、HESTRAの扱いはフルマークスに引き継がれるが、今に至るまで、大きな感謝とともに使い続けている。
- 「3-Finger Full Leather」を選んだ理由
- 30年前の当時、競技スキーに熱中していたため、僕の最初のHESTRAはレーシンググローブだった。手首に被せて履く黒と白のモデル。指に「HESTRA」の文字があった。宿仕事の合間にゲレンデを滑ったり、ポールの練習をするときはもちろん、朝の除雪機の運転や、車でのお客さんの送り迎え、ゴミ出しまで、僕はこのレーシンググローブで冬のニセコの宿のあらゆる仕事をこなした。どんな使い方をしてもへこたれることなく、HESTRAのレーシンググローブは、僕にとって万能だった。
- ニセコより気温がぐっと低い山に出かけるときは、薄手のウールミトンにナイロンのオーバーミトンという昔ながらの冬山登山の組み合わせを使った。皮革のグローブは濡れるとバキバキに凍るため、山で使うには難があったのだ。その組み合わせで、なぜかスキー大会に出場したこともある。レーシングワンピースに毛糸のグローブ。あまりのミスマッチが気になったが、赤いHESTRAのオーバーミトンのおかげで、多少はお洒落な装いになったと信じている。
- 「3-Finger Full Leather」を使うようになったのは、ニセコ雪崩調査所が始まってからだ。毎朝4時に起きて圧雪車に乗り込み、明るくなってからはゲートに上がって看板を設置するなど、毎朝の仕事に欠かせない。ときにはゲートに立って滑り手たちを見送り、パトロールがてらゲレンデを滑る。長時間、真冬のニセコで行動し続けるうえで、「3-Finger Full Leather」の暖かさに助けられている。また、吹雪のなかの作業でグローブの脱着を繰り返すときにも、さっと外して、さっと作業できる3本指グローブは重宝している。
- 気に入っているところ
- ひとつのモデルは4、5年使い倒しているから、今使っているのは、おそらく3代目だと思う。暖かく、着脱しやすい上に、長く使っても安心できる丈夫さと信頼性が気に入っている。
- 皮革のグローブは手入れをしながら、使うほどに手に馴染むというが、僕の場合、HESTRAはスキーグローブであると同時にワークグローブでもあるから、酷使しすぎてグローブの形が変わるほど使い込むことになる。手首を締めるベルクロテープが千切れてなくなることもあったが、むしろ、そのぶん着脱が容易になり、使い勝手が良くなったと思っていた。
- 僕は長年の登山とシーカヤックの遠征を繰り返してきたなかで、手の腱を傷め、満足に動かせない指や、曲がったまま伸ばせない指がある。そんな不自由な手でグローブをはめるには、ある程度の慣れが必要なのだが、そんなときもHESTRAのしやなかな皮革にはずいぶん助けられている。
- 使用状況
- 春まではほぼ毎日。ニセコにいるときには欠かせない。
- ほかにどんなモデルを使用していますか?
-
「Wakayama」
春になったらこれの出番。ストックもショベルも握りやすく、滑るときも作業するときも手放せない。軍手のように使っても、皮革はタフでやらわかく、使い込むと、自分の手の形のようになってくる。 - 最後に滑り手としてのモットーを
- 「常にフォールラインを目指す。それに尽きる」
Profile
- 新谷 暁生 (しんや あきお)
- 1947年、札幌市生まれ。ニセコ雪崩調査所所長、シーカヤックガイド、登山家。酪農学園大学卒業後、登山隊隊長として複数のヒマラヤ遠征を率いる。ニセコモイワ山麓でロッジ・ウッドペッカーズを営みつつ、2001年のニセコルール創設に尽力。スキーシーズン中は、毎朝「ニセコ雪崩情報」を発信し、雪崩事故防止の最前線に立ち続けている。著書に『北の山河抄』など多数あり。
- CREDIT
- photo:Hiroshi Suganuma text:Akio Shinya, Chikara Terakura


















