Winter Anniversary

ノルウェー西部にある山、Store Midtmaradalstindの「アニバーサリー・ルート」は35年前に4人の男が夢見たルートだった。このルートは、数千メートルにも及ぶ岩壁、雪、凍った苔に覆われた険しい道のりであった。

「僕には一つ年上の従兄弟がいた。まるで兄弟みたいな付き合いだった。コーラ叔母さんの許しを得られるか否かは関係なしに、彼は無謀な冒険への誘いには絶対にノーを言わなかった。僕がマウンテン・クライミングを始めたと話した時、彼はちょっと羨ましそうだった。そこで、僕が彼にクライミングのちょっとした手ほどきをすることになった。僕は、ボートロープをバックパックに詰め込むと、従兄弟がスクールバスの車中で暮らしているSoggeに向けて出発した」
シェティル・スヴァンミールは、1970年代初頭にノルウェー西部の町、オンダルスネスから始まった彼のクライマーとしての出発点をこのように記している。
「僕たちは14〜15歳くらいで、右も左も解らない状態だったが、人生に対する冒険心は溢れんばかりだった」と彼は続けている。

ボートロープを使った旅行から5年後、1979年のイースターの休暇にノルウェー西部のヨトゥンヘイムのTurtagrøという場所でこの従兄弟同士は落ち合った。スヴァンミールは、スキーのメッカの町であるヘムセダールから、そして彼の従兄弟のハンス・クリスチャン・ドーセスはオンダルスネスからバスでこの地にやって来た。
「バスでの移動は本当に長い旅だったと思うよ」とスヴァンミールはノルウェー東部のドブレ地区の村から通信状況の悪い電話を通して語る。
スヴァンミールは今でもアウトドアで過ごす時間が多い。もっとも、クライミングではなく、平地でのアウトドアライフで、最近は専ら犬ぞりに熱中している。
だが、未だに彼は雪山を愛している。「僕は雪の感触や寒い気候が好きだ。寝袋やテントを持たずに冬山に登った事もあるけど、最高だった」と彼は語る。

1979年のイースター休暇、スヴァンミールは19歳でドーセスは20歳だった。スヴァンミールは、ウルフ・ゲイル・ハンセンのルノー16にリフトを積んでいた。フィン・デーリも同乗していた、彼らは、Hurrungane連山のTurtagrøで落ち合って、誰も成し遂げた事の無いことに挑戦しようとしていた。それは、Store Midtmaradalstindの岩だらけの山頂へ続く北東の山壁を登るJubileumsruta(アニバーサリー・ルート)を冬季に登る事である。最初のこの岩場、氷、そして雪に覆われた数千メートルに及ぶルートの登頂が制覇されたのは、1968年である。

「でも、天候があまりよくなくて、岩壁をうまく登る事が出来なかった。道具も装備も万全に整えて行ったけど、結局他のルートで登る事になったんだ。僕は、遠征スタイルのクライミングはあまり好みではなくて、アルパインスタイルで登りたかったんだよ」と1945年生まれのハンセンは語る。
1970年、ハンセンは他の仲間とともにアルパインスタイルでモンブランのPilier du Freneyに登った。1977年に再びHurrunganeに挑戦し、エントリーポイントまで到達した。ここに辿り着くには、先ず”Bandet”を超えて、Skagadalen峡谷まで進み、その後、MidtmaradalenのU字型の峡谷まで数千メートルまで下らなくてはならない。

「アニバーサリー・ルート」は、1969年の夏に初めて制覇されたルートである。このルートは、ノルウェーのStore Midtmaradalstinden山頂の北東の岩壁の点線部分まで続いている。

スヴァンミールは、山頂に立ち、尾根に向かって消えて行く他のクライマーたちが残した足跡を撮影していた。「冬季にクライミングをするなんて、当時のノルウェーではとんでもないことだった。なぜこのようなことをしたのかと言えば、恐らくその理由は、我々は70年代のクライミングの発展を妨げていた狭い枠組みから飛び出して行きたいと切望していた世代だからなんだと思うよ」とスヴァンミールは語る。

エピローグ
「僕はオスロで一人の女の子と出会い、1980年に父親になった。同じ年にハンス・クリスチャン・ドーセスは、ヨセミテに向かった。当時、彼は既に僕よりも優れたクライマーで、向上心も遥かに高かった。でもその夏、彼は凄い飛躍を遂げたんだ」とスヴァンミール。
1979年の「アニバーサリー・ルート」の冬のクライミングは、ドーセス がデーリと初めて共にした長いクライミング・トリップだった。1984年、このペアはパキスタンのグレート・トランゴ・タワーで姿を消した。この巨大な岩壁については、70年代、スヴァンミールのオンダルスネスの自宅にあったトラベル・ダイアリーに、2ページ見開きの記載がある。スヴァンミールのこの時のクライミング体験は以下のように締めくくられている。
「僕は、今でもとても長いトレッキングから家路を目指しているクライマーがどこかにいて、いつか全てのことを、そう、ありとあらゆることを共に話せる日が来るはずだという思いを抱き続けている」