旅の入口で – ホルンストランディル

旅の入口で

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困り果てた二人は、
ヒッチハイクで北上した

旅の始まりは、いつだって思い通りにはいかないもの。それをトラブルと見るか、旅のスパイスと捉えるか。受け取り方次第で、旅の印象は変わってくる。

根本絵梨子と道木マヤの二人が、アイスランドの首都レイキャビクに降り立ったのは、2024年7月27日の朝のこと。長い旅の始まりは、本島北西部に位置するホルンストランディル自然保護区を目指した。北の果てのフィヨルド沿いに広がる美しい半島エリアでの、3泊4日のトレッキングを予定していた。

レイキャビクからは直線距離でおよそ250km。クルマで7時間以上かけて北上し、さらにフェリーでフィヨルドを渡った先が、今回のトレイルヘッドだった。

二人はバスを5台乗り継ぎ、その日の夜までにフェリー発着地に着くつもりだった。だが、最初のバスを降り、次の便に乗り継ごうとした時点で、早くもつまずく。北へ向かうバスは週に2本しかなく、この日の運行はなかったのだ。

困り果てた二人は、バスでの移動をあきらめ、ヒッチハイクで北上することにした。「こうなったらもう、ヒッチハイクを楽しもう!」と、二人はすぐに気持ちを切り替えた。

ようやくスタートできるはずが…

翌朝、小さなフェリーで2時間ほどかけてフィヨルドを渡った二人は、船着き場で一人のアイスランド人と出会い、言葉を交わした。材木を整理していたその男性は、古い時代に建てられた家を修繕しながら、妻と二人で夏を過ごしているという。

「よかったら立ち寄っていかないか。コーヒーでも飲んでいけば?」

そんな誘いに、二人は迷うことなくうなずいた。こうして、浜を見下ろす丘の上に建つサマーハウスで、コーヒーと手作りのパウンドケーキをご馳走になりながら、夫妻の話に耳を傾けた。

ホルンストランディルというこの土地には、かつて捕鯨基地として栄えた歴史があった。しかし、90年ほど前にその事業は撤退し、最終的に人々は村を離れたという。

夏は緑に包まれ、動植物も豊富な美しい場所だが、冬は強風が吹き荒れ、極寒の地へと姿を変える。人が通年で暮らすには厳しすぎる環境だったのだ。

今ではハイカーが訪れる以外に、夏の間だけ過ごす人々の家がわずかに残るのみ。しかも、道路が通じていないためアクセスはフェリーに限られ、天候の影響も受けやすい。そのため、アイスランド人ですら足を運ぶことは稀なのだという。

ふと見ると、家のデッキに置かれた白いスツールは、木でできたものではなかった。それはこの土地の過去を物語るように静かに佇む、クジラの背骨だった。

気がつくと、もう2時間以上が経っていた。居心地のいいこの家で、いつまでも夫妻の話に耳を傾けていたかった。けれど、二人のトレッキングはまだ始まったばかり……、いや、まだスタートすらしていない。

「アイスランドに旅しない?」と言い出したのは、根本だった。10年以上前、旅の雑誌で特集されているのを見て以来、いつか訪れたいと憧れていた。その後、登山やロングトレイルハイクに親しむようになり、さらに写真家となってからは、また別の意味で惹かれるようになる。美しいアイスランドのトレイルを歩き、そのときに感じたことを写真に収めたい。そんな思いを募らせていた末に、ようやく実現したのが今回の旅だった。

当初は別の友人と行く予定だったが、それが頓挫したときには、一人でも行こうと覚悟を決めていた。コロナ禍を経た今、「行けるときに行く」という意識が強くなっていたのだ。そんなときに、友人の道木が同行してくれることになったのだ。

「待ちに待ったアイスランドに降り立ったと思ったら、いきなり初日につまづき、二日目にしてようやく海を渡り、さあ、いよいよトレイルに足を踏み出すぞ……と思ったら、ご夫妻の家で2時間以上もくつろいでしまった。ぜんぜんスタートできません」と根本は笑う。

名残惜しさを胸に、夫妻に丁寧にお礼を伝えると、二人は後ろ髪を引かれる思いで歩き出したのは、結局14時を過ぎてからだった。

しばらく海沿いの道を進み、それから峠に向かって海を背に、花が咲き乱れる草原を登っていく。ふと振り返ると、内陸に深く切れ込んだフィヨルドらしい地形が、次第にその姿を現していた。

緩やかな草原を登り切ると、足元はゴツゴツとした岩だらけのトレイルに変わった。歩く人が少ないぶん凹凸が激しく、決して歩きやすい道ではなかった。まわりに残雪や小さな池塘が点在する台地を進むと、北側の海を見下ろす峠に出た。北風を受けながら斜面を下り、ほどなく海辺に到達した。

テントは、波打ち際から少し離れた草原に張った。14時に歩き始めて、テントサイトに着いたのは夜の23時過ぎ。9時間の行動だった。

涙がボロボロこぼれてきた

ハイキング2日目は、北のビーチに沿って進んだ。砂浜をしばらく歩いた後、トレイルは海辺を離れ、大きなピークのショルダーに向けての長い登り坂に入った。

振り返ると、壮大なパノラマが一望できた。目に入る人工物は、途中通ってきた無人のサマーハウスが数軒。それ以外は、人の気配をまったく感じさせない、太古のままの自然が広がっていた。

その日は岬を登り、台地を歩いた先にテントを張った。それぞれがULタイプの軽量テントを持参していたが、予想以上に寒さが厳しく、結局、三泊とも道木の二人用テントで一緒に寝ることにした。一人よりも二人のほうが暖かいのは道理。緯度が高いだけに、7月末といえ、昼も夜も気温は上がらなかった。

翌日は、テントをそのままにして、岬の先端にある断崖地帯を見に行くことになった。しかし、朝から天気が悪く、海から吹き付ける風も強い。やがてガスで視界は閉ざされたため、途中で引き返すことにした。行きも帰りも、川を渡らなければならず、そのたびに靴を脱ぎ、氷河から流れ出る冷たい流れのなかを素足で徒渉した。

4日目の出発は、夜中の3時だった。嵐の到来により、予定していた午後のフェリーが運休になる可能性があった。道路のないホルンストランディルでは、フェリーが止まれば、しばらくの間、半島に閉じ込められる。それだけは避けたかった。そのため、午前10時の便に間に合うように出発時間を前倒しにしたのだ。

「私は寒いのが苦手で、歩けば暖かくなるかと思って一気に海まで下りたんですが、全然暖まらなくて……。天気もどんどん悪くなっていき、横殴りの雨がみぞれに変わり、途中、涙がボロボロこぼれてきました」と道木。

そんなとき、先行していた根本の行動を見て驚かされたという。

「私が焦って必死にがんばっているのときに、『ちょっと待って、これって綺麗じゃない?』って、カメラ出して写真撮っているんですからね(笑)」

なんとか午前のフェリーに乗り込んだ二人は、こうして、アイスランド最初のハイキングの幕を閉じた。根本はそんな3泊4日を振り返る。

「アイスランドは火山、というイメージに反して、ホルンストランディルは、緑の大地が広がる美しい土地でした。花が咲き乱れ、アザラシや北極ギツネもいる。鳥の種類も多かった。どこまで行っても、ほとんど人に会うこともなく、非常にワイルドな印象を受けました。マヤミチ(道木のニックネーム)はたいへんだったと思います。初めての海外トレイルで、いきなり慣れない大荷物と、寒さや雨。でも、彼女は根性も体力もあることは知っているので、大丈夫だと安心していましたけどね」