Trans Alaska

282日を費やしたアラスカ横断3000キロの旅。道中に46頭のクマと遭遇。旅人はラーシュ・モンセンと年齢を偽って彼に同行した20歳の女の子。当時の旅の思い出を彼女に語ってもらおう。

マリット・ホルムさん、今、あなたはどこにいるのですか?
「Stabbursnesの北部にあるラクスエルブの村の近くにいます。ノルウェーのフィンマルク県です」
1992年の5月はどこにいましたか?
「あはは、ノルウェーのトロンハイムで農作業を手伝っていたわ」
ノルウェー人の冒険家、ラーシュ・モンセンの告知はどうして知ったのですか?
「複数の友達が教えてくれたの。みんなが、『VILLMARKSLIVってアウトドア雑誌を読んで!あなたを探している人がいるわ!』って言っていたの」
ノルウェーではアウトドアライフはまだ根付いていなかった。ノルウェーのノールムーレ地方のスモラ地区から何人くらい遠征に参加したのですか?
「それほど多くなかったわ。私は間違った場所に生まれたんじゃないかと思ってた。トレッキングは私の生活の大部分を占めていた。やっと思いを共有できる仲間を見つけた時は嬉しかった」

中学を卒業すると、マリットはトロンハイムに引っ越し、赤十字山岳救助隊に加わり、クライミングを始めた。
「その時ついに自分の居場所が見つかったと思ったわ」
この時期に彼女は、バレーボール、バスケットボール、ハンドボールなど、あらゆる球技を通して体力を養った。
「全部手を使う競技だったわ。サッカーは向いてなかったの」
彼女の身体能力はトップクラスだった。
『VILLMARKSLIV』で、ラーシュ・モンセンは新たな冒険に同行してくれるパートナーを求めて数ページの広告を掲載していた。ノルウェーでハイキングをしている時、彼はアラスカでハイキングをするアイディアを思いついた。この冒険には女性の同行者が必要だと彼は考えた。
「私は冒険旅行に行くことをいつも夢見ていた。というよりも、いつかは絶対に行くのだと思っていたの。だから、ラーシュのオファーは自分にとってパーフェクトだった」とマリット。
広告を見た後にどうしたのですか?
「私がこれまで体験した最高のトレッキング、そして、いかに自分は応用がきいて能力のある人材かを綴った手紙を送ったの。ちょっと、自慢げな内容で年齢も偽って書いたの」
何歳だって書いたのですか?
「24歳だと書いたわ」
で、当時の実際の年齢は?
「ええっと、21歳、いや、20歳、ううん、そろそろ21歳って時かしら。4をちょっとおかしな感じで書いたから1にも見えたかな」
彼女の年齢詐称はその後もずっとバレることはなかった。Larsは38人の女性から連絡を受けていた。
彼は5人の女性を選出すると、1992年の夏にトレッキングのテストを行った。
「彼はわざと私を残して出発したの」
わざとですか?
「そうよ、それもテストの一部だったの」
それで、どうしたんですか?
「走ったのよ。ドブレ山地(ノルウェーの中南部)にいたんだけど、岩場ばっかりだった。でもその時は結構鍛えられた体だったから、ガンガン飛ばして走ったの」
アラスカのトレッキングの本を読んだ批評家はマリットを「肉体的な試練にも耐えられ、ナビゲーションのスキルにも長けており、特殊部隊の兵士をも震えさせるような傷を負ったとしてもビクともしないタフな女性」と評しているが、これはどうやら正しい考察のようだ。
「私は絶対にあきらめない性格なの。絶対によ。これは私のモットーね。エネルギーを絶えず満タンにしておくの」とマリット。
帰りの列車でラーシュは、ぴったりの女性が見つかったと喜んでいた。

彼らが成し遂げたトレッキング訓練の数々は、ほとんどの人たちにとっては一生をかけて体験するようなものだったかもしれない。1992年から1993年の冬は、フィンマルクの北極圏ツンドラで2ヶ月を過ごした。1993年の夏はノルドカロッテン地方で900キロのトレッキングを行い、1993年から1994年の冬はノルウェー北部のタナ荒地を50日間かけてトレッキングした。年間で280日間行動を共にしていた。これらのトレッキングはアラスカで起こり得るあらゆる状況を想定して行われた。
ドッグフードも食べたんですよね?
「一週間なら食べ続けられた。美味しいとか不味いとかの問題ではなくて、お腹がどうしようもなく空いている時はちょっと気分をマシにしてくれるわ。ちょっと胃がもたれたけど、問題はなかった」
トレッキングが終わると、お互いの評価を行った。最初のセッション後でラーシュは彼女を以下のように評価した。「ハンティング、釣り、火を起こすこと、そして良質な燃料の知識などの分野についてはさらに向上が期待できる」つまり、彼は自分のようになって欲しかったのだ。

アクション映画のスター、チャック・ノリスのサイトを真似た「ラーシュ・モンセンの真実」というサイトがある。例えばこんな「真実」が掲載されている。
「食糧が尽きた時、ラーシュ・モンセンは石で出来た道標を食べた」
「クマは冬眠するのではなく、ラーシュ・モンセンに見つからないように隠れる」
「ラーシュ・モンセンは素手で火を起こす」
最後は明らかにガセネタである。

1994年、ノルウェーのリレハンメルで冬季オリンピックが開催された。この年、ノルウェーは再度EU加盟を拒否し、そしてラーシュとマリットはアラスカに向かって旅立った。すでにこの地には、生皮、鮭、金、そして石油を求める人々が大挙して押し寄せていた。だが今この地を目指すのは、体力を駆使してアラスカを横断しようとする多数の男女と犬である。
1994年11月末、彼らは空路でオスロ – コペンハーゲン – シアトルを経由してアンカレッジに着いた。ここで国内線に乗り換え、アラスカ最北端のバローまで飛んだ。極夜を過ごして、2月には南方へ向かうという計画だった。寒さがとても厳しく、ラーシュはキャンプのストーブに火をつけるために12本のマッチを使わなくてはならなかった。しかし、マリットにとって寒さは問題ではなかった。
「ちょっと頭が混乱していたわ」とマリット。
北極圏の冬の夜の暗闇で、彼女はテントで寝ながらシロクマに対する恐怖に怯えていた。
「シロクマが襲ってきたら、暗闇の中でどう身を守るのか解らなかった。それに、いざとなったら猟銃を打つことができるどうか自信がなかった。すごく気持ちが不安になっていたわ」
そして、2年と280日間のトレーニングの日々を経て、彼らは南方からトレッキングを自己責任でスタートすることを決心した。このルートの利点はシロクマが少なく、川を横断することも容易だったので、彼らは即決してこのルートに向かって出発した。
ラーシュの著作でこのトレッキングについての記述を読むと、その超人的とも言える取り組み、特にマリットには感服させられる。
「いいえ、私はそんな感じではとらえてないわ。疲れ果てて、木々の中で気持ちが揺らいで涙が出ることもあった。でも、もう駄目になってしまうという瞬間の後には自然のあまりの美しさにうっとりすることもあるのよ」と マリット。
「多分私は他の人とは感性が違うのかもしれない。くたくたに疲れ果てることは良いことなの。私にとってそれは痛みを伴うものではなくて、いい気持ちのものなの。汗をかいて、奮闘しながら先に進むことは大好きよ。痛みという意味は人がそれをどう定義付けるかによるわね」
トレッキングに出かけた際のごく日常的な一日はどのような感じですか?
「毎日、すごくエキサイティングで幸せよ。毎日探検家のような気分で新しい場所を歩き回ることは本当に好き。それに、どっちの道をとるかなどの自由な選択が自分自身で決められるのも好き」 トレッキングの期間が長くなる場合は、どんな感じでしょうか?
「屋外で生活をしていると季節が変わっていく様子が肌で感じられるのはとても特別な気持ちだわ。1年近く自然の中で暮らしていると心の中に静けさが感じられて、松の木やテントの中にいると、ここが自分の生きる場所だと思うのよ」とマリットは語る。
「多分、本能が動物的になってくるのだと思う。人間として生まれたことが特別なことかもしれないけど、ともかくこの自然界の一部として存在していることにとてつもなく感謝したくなってくるのよ」 長いトレッキングの期間中にそのような感覚はどれくらい持続するものですか?
「少なくとも1ヶ月かしら。最初の週はストレスを感じるし、最終週は家に帰ってやらなくてはいけないことを考えてしまう。ある週に感じていたポジテイィブな思いが次の週にも引き継がれれば最高なのだけれど」 毎日記録は残しているのですか?
「日記を書いていたわ。トレッキングをしていると毎日あっという間に時間が過ぎてしまう。記録を残しておくことは大切なことだと私たちは思っていた」

「カップルになることはあり得ないことだとラーシュは言っていた」とマリット。
「私は別にどうでもいいことだと思っていた。でもある晩、ラーシュが私に恋していると告白したの」
それで、あなたはどう応えたのですか?
「私も大好きだと言ったわ」
1993年、ノルウェーでトレッキングのトレーニングを行っていた時期にラーシュが彼女に告白し、以来二人の関係は7年間続いた。アラスカ旅行の最後の4ヶ月間、彼らは同じ寝袋で過ごしたが、一緒に食事をすることはなかった。
「私たちはお鍋を一つしか持ってなかったから、交代で使うしかなかったのよ。だから食事を一緒に食べられなかったの。余分な荷物を避けるために、各々が自分の分の食事を持ってきていたの。おそらく二人で同じ鍋から食事を共有したらケンカになっていたかもしれない」
物資補給のために、村に立ち寄った際は二人の食事事情は格段によくなった。
「村に足を踏み入れると、いつもここで滞在するべきか否かを迷っていた。すると必ず誰かが駆け寄ってきて挨拶してくれたわ。大抵の場合、歓迎されて食事にも招待してくれたし、寝床も確保してもらえて、洗濯もすることができた。現地の人たちは、いつも親切で彼らと出会えたことは本当に大切な思い出だわ」
で、プロポーズもされたんですよね?
「えへへ、そうなの」
あるエスキモーがもし彼女に決まった相手がいないのなら、結婚したいと書いたメモを彼女に手渡したのだ。
トレッキングをしている間は、そういうことが頻繁にあったのですか?
「そんなに多くはないわ」

アラスカ…この言葉から連想するのはタフな漁師、ヘリスキー、そして、情け容赦のない荒野などだ。だが、ノルウェー人たちのアラスカ南部遠征旅行の最初の1ヶ月間の行程を遅らせたものはこのような要因ではなかった。本によれば、彼らは数多の茂みと藪に道中遭遇した。
「それはすごい茂みだったわ。見渡す限り周りは全て藪だった。あまりに茂みが深いので、10時間頑張って歩いてもわずか数キロしか歩けなかった」
マリットのモチベーションは出発する前から低かった。なぜなら、二人とも風邪をひいていたのだ。なんとか頑張ってはみたが、マリットは引き返すことを決意した。来た道を10キロ引き返し、ヘレンディーン湾の仮の滑走路にあるキャビンに腰掛けた。彼女は無線を見つけるとチャネル72を使い、最近訪ねた村で知り合いになった人物を呼び出した。運良く彼は応答し、一時間後に彼女は空路でベアー湖まで移動してラーシュを待った。 「南方へ飛行機で移動しなければならなかったことは、何とも残念だったわ。でも、私はもう気持ちが落ち込んでいたし、他に選択肢がないことはわかっていた。でも落ち込んでいても何も意味がないと思ったの。だって、絶対に無理なことだったんだもの」
ラーシュは独力で何とか頑張ろうとしていた。しかし、地面の裂け目、茂み、藪の多いルート、そして病気を発症したことから彼はトレッキングの続行をストップした。
スポンサーはその決断にどのように反応したのでしょう?
「それほど大した問題じゃなかったと思うわ。遠征旅行そのものがユニークだったし、まあ飛行機で移動したことも話のネタになったんじゃないかしら」

茂みと松林を抜け、藪と山々、そして川を横断するトレッキングで彼らはヘラジカ、ビーバー、クズリ、そして46頭のクマなどの野生動物にしばしば遭遇した。
「一度に5頭のクマと遭遇した時は、ともかく、ずっとおとなしくしなければならない」
マリットとラーシュは、クマと遭遇した際の基本ルール10カ条を共有していた。
ルールその2:ともかくうるさくする。
それって、ベルを体につけて鳴らすって感じですか?
「まあ慣れの問題なんだけど、私は大声で話したり、歌ったり、ベルを鳴らすことには慣れていなかったの。クマとの距離が近くなればなるほど、私たちはさらに大きなノイズを起こしたわ」
この時期にトレッキングを行っている間に、ラーシュはクマの訓練士のような術を身に付けた。タンゴ山のクロクマは、何か特別の理由があったのか、何度も彼が「どうも、こんにちは!」という問い掛けをしたが応えなかった。
今、マリットはクマに対する恐怖心を抱かなくなった。
「クマは人間を標的にしていないのよ。彼らは私たちより臆病だし、人の匂いを嗅ぐと急いで逃げ去ってしまうわ」
狼とも遭遇しましたか?
「夕暮れに川の土手に沿った場所でキャンプファイアーを起こして座っている時、狼の遠吠えを聞いているのはちょっとおかしな感じよね。ちょっとゾッとするけど、こういう自然の中での体験が醍醐味なのよ」

南部のフォールスパスから北部のカットビックまでのトレッキングでは、海岸、森、雪、川、そしてツンドラに囲まれた広大な大地を歩いた。20日間くらいはスキーで移動し、キャンプを片付けてはまた歩き、そしてキャンプを組み立ててというような行為を3000キロ続けた。
寒さが厳しかったので、ラーシュはキャンプで犬と一緒に寝た。この犬はその後に心臓発作を起こし、このことが原因で水が多い湿地で一日過ごさなくてはならないこともあった。
最後の数キロをトレッキングした時は、どんな気持ちでしたか?
「海に辿り着き、最終日は海岸に沿って歩いていた。僕は身も心も疲れきっていた。気持ちは微妙だったよ。もちろん、目的地には到達したい気持ちでいっぱいだったけど、これで冒険は終わっちゃうの?って思っていた」 「あなたはもう一度戻ってやり直したいって気持ちもどこかにあったんじゃない?」とマリット。
1995年9月19日に彼らは目的地に到着した。遠征旅行自体は292日、北部での待ち時間は1ヶ月間だった。

「私たちは約1年を自然の中で暮らしていたわ。自然を離れることがすごく悲しかった。街に戻ったばかりの時は、ベッドで寝たり、キッチンで料理を作ることも楽しいわ。でもだんだんあの静寂が恋しくなってくるのよ」
現在、マリットは39歳になり、ラクスエルブで獣医をしている。そして38㎡のキャビンに暮らし、庭で17匹の犬を飼っている。
この旅であなたはどのような成長をしたでしょう?
「あらゆるトレッキングは人を成長させるわ。アラスカへの旅では、肉体的にも精神的にも私たちは思っている以上に強いんだってわかった。自分自身のこともよりわかるようになったし、私は屋外で風に吹かれていることが好きなんだって改めて思った」
今振り返ってみると、アラスカへの旅はどんな感じですか?
「私にとっては、おとぎ話みたい」
他には?
「たくさんの風景が浮かんでくるわ。たくさんのキャンプ場とかね」
彼女は一息ついた。
「たまにあのとき印象に残ったシーンが頭に浮かぶの」
例えば?
「山頂に立って南を見ると、目に入ってくるものは全てこれまで私たちが来た道。それから北の方角を見て、視界に入る自然よりもはるか遠くに行かなくちゃって思った。地平線の向こうまで行くのよってあのとき私は思っていた」

参考資料: The book “Til fots gjennom Alaska” (On Foot Through Alaska),
Gyldendal, 1996, by Lars Monsen, Marit Holm, and Toini.