令和元年、富士山登ってきました。

その0.5

これまでもシーズン問わず何度も登ってはいますが、ここ数年は登山シーズンに最低でも1回、その年の「干支の焼印」目的で登るようになりました。

その8

なかなかゆっくり時間が取れないため、直前まで仕事の合間と天候とにらめっこし、動ける日にパッと行動。誰かと日程を合わせるのも難しいため今回も一人で行く予定でしたが、たまたまスケジュールの都合がついた若さんこと弊社社長がトレーニングがてらご参戦。1週間後にフランスはコルシカのトレイルをヤマケンこと弊社 山本 健一と走りに行くそうで。
待ち合わせをして二人で日本の頂上へ向かうことになりました。

その3

富士山協力金は、電子マネー、クレジット可。富士山も時代とともに進化。

その4

最初はガスがかかって少々肌寒いくらいの吉田ルート5合目でしたが、登るにつれて雲の上。涼しい風と陽の光の暖かさで終始快適な登山日和。油断して日焼け止めを塗らなかった私、このブログを書いてる今現在、首回りが非常に痛い!

その5

そして八合目にある山小屋、元祖室さんにて私の最大の目的、亥の焼印をゲット。

その6

って事であとは登って下るだけ。

すると若さんペースアップ。この後私はずっと社長の背中を追い続けることとなる。並大抵の体力ではありません。思いがけず我々のボスであることを身をもって再認識する。w

その8

そんなこんなであっという間に頂上着。

その9

お鉢周りでも走り出す若さんの背中を追いかけながら、ハイペースで剣ヶ峰。

その10

二人とも目的が別にあるため、他の登山者とは違って「登頂の余韻」に浸ることなど全くなく、そそくさと下山開始。

落石を起こさないように気をつけながら、小走りで一気に下る。7時過ぎに登山開始して12時半頃に下山。あとからアプリで確認すると登り3時間、下り1.5時間、お鉢周りや用足しなどを含めても、人生最速での吉田ルート登山となりました。

その12

干支の焼印はまだ4つ目を集めたところ。残りの8つを集めるには、それと同じ年月を経なければならないということ。8年後の自分が最低でも今と変わらぬ体力と健康、もちろん目指すはそれ以上、今回一緒に登った社長以上の体力を持っていられるようにしなければと、刺激を沢山もらった1日でした。

 

解散後はそれぞれ、私は保育園への子供のお迎え、若さんはオフィスへお仕事へと、1日有意義にフル活動!!!

ちなみに筋肉痛は私、しっかり2日目にやって来ましたとさ。

 

T. Egusa