何かをするために欠かせない道具。
好きな滑ることをするため、そしてさらに楽しいものにするためであったり、もっと奥深くまで導いてくれるのも道具。時には楽をするため、また時には試練を与え、使うものの欲求を満たすために様々な道具がある。遊ぶためのものであったり、アートとしての側面も持っていたり、その道具を持つことの自己欲求を満足させてくれる道具。生きていく上でなくてはならないのが道具なのだが、その扱いは道具の種類によってもしくは扱う人によって大きく異なる。

先日まで友人でありビジネスパートナーでもあるNORRØNAの社長が彼の友人たち総勢6名とパウダースノーを楽しみに日本に来ていたので、白馬〜札幌近郊〜キロロと8日間を共に過ごしてきた。

各地で活躍するガイドさんたちにお世話になり、ガイドのスキルをアップさせるわがままを言う彼らを満足させるのは至難の技ではあったと思うのだが、「今までで最高!」というセリフを毎日叫ぶ彼らを見るのはこちらとしても非常に微笑ましく、そして私自身ももちろんとても充実した毎日であったのは言うまでもない。

彼らが喜んでくれれば小さなものから大きなものまで大抵のわがままには頭をひねりつつ対応できていたのだが、ひとつだけどうしても気になったことがあった。それが道具の扱い方。私自身は、道具を遊びに連れて行ってくれる大事な相棒として捉えているのだが、彼ら全員ではないのだが数名は自身の道具や、他の人の道具へのリスペクトという感覚がまったく欠けており、あくまでもお金を払って買った道具であり、ある程度使えばもうお払い箱で新しいのを買うからそれでいい、という感覚を持っていた。

これは外国人に限った話ではなく、日本人にも同じよう人はいるのであろうが、少し寂しさも感じる。道具への愛情とリスペクトとケアは世界共通にもっともっとやっていけるのではないだろうか。欲しいものを手に入れそれと時間を共有することで理解し、その道具の意味を知るのはとても楽しいことだと思う。道具本来の意味を分かることでさらに新しい道具が欲しくなったり必要になったりする。また、場合によっては必要に迫られ自分で作るというようなことも起こりうる。面白い楽しいことは常に回っているのである。

なんだか面倒な話を書いてるようになってしまったが、「オレの板を踏むな」と言いたいだけなの、実は。

わか